コラム:「人工知能」を「複雑な計算」と置き換えてみる

人工知能を使った様々なシステムや成果が声高に紹介されています。しかし、それらには、違和感を感じるものも少なくありません。
本来は、「何をなしうるか」に注目すべきであって、「人工知能を使っている」という点がシステムの優秀さを示しているわけではありません。

そこで、例えば「人工知能」を「複雑な計算」に置き換えてみましょう。

人工知能を使って、新型コロナの流行を予測した」

複雑な計算を使って、新型コロナの流行を予測した」

実際の挙動に関する説明としては、どちらも全く同じです。しかし、受け取る印象が違ってくるのはなぜなんでしょうか?

「人工知能」という言葉に対しては、多くの人が、無意識のうちに、自律的・主体的に活動する人間の代替、あるいは、人間を超越したものという印象を持っているのではないでしょうか?それは「知能」という単語に起因する印象付けの影響だと思われます。そして、それを利用して(自立的、主体的なものではないにも関わらず)そう思い込ませるような誘導しているような広告や記事を見かけることもあります。(明示的に誘導するだけでなく、その誤解をあえて解かないことによる印象付けもあります)

現在の「人工知能」は、つまるところ、ただのプログラムにすぎません。人間がそのプログラムを実行することで、様々な計算が行われます。その結果が人間にとって有益な成果になっているということなのです。
確かに、これまでの技術よりも複雑な処理になっていて、人間が直観的には理解が難しくなっているのは間違いありません。しかし、それでも、それぞれの問題を解決するために書かれたプログラムに過ぎないのです。

しかし、人間は言葉によって情報のやり取りをしている以上、言葉から受ける印象に左右されてしまいます。そんな場合には上記のように「複雑な計算」と置き換えてみることで、言葉による呪縛を排除することができるかもしれません。

(M.H)

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